2011年4月14日木曜日

愛知大学

出身校である愛知大学文学部の新入生にむけての講演をさせて頂きました。
テーマは「私が文学部で学んだ事」

私は文学部でも史学科東洋史専攻でした。
元々歴史の勉強がしたくて、愛知大学の史学科に入学したのです。
そこで今でも本当に恩師と尊敬する先生(教授ですが)に出会い、その先生からの依頼で今回の講演となりました。

史学を学び、それがどのような意味を持ち造園を職業として選んだのかの生き方について話してほしいというものでした。
講演時間は50分。
新入生約360名が相手です。


自分を見つめ直しての作業、準備の為に約一ヶ月、夜なべが続きました。

造園を一生の仕事にしたいと思ったのは大学3年生のときからなのですが、今回のチャンスを通して考えてみると私はいるべき場所にいるのだと思いました。
歴史と庭、共通点があると思いますか?

私にとってはリンクしています。
その地域の植生や土壌を理解する事は過去を知る事です。
それに見合った植物を選択して、土壌を改良する事は現在の仕事。
そしてその植物の成長を見守る事は未来への仕事なのです。

庭は限定的な小さな場所ですが、歴史を実感できます。

これからの為に自分が出来る事は何か?
仕事を通して楽しみながら、けれど真剣に考えています。
在籍していた時は教務課が入っていた建物 


それにしても久しぶりの愛大、やはり緑の多い大学でした。

2011年4月4日月曜日

春が来ました。
事務所近くの岡崎城でもソメイヨシノが咲き始めています。
五部咲きでしょうか。

でも私が感じる春はソメイヨシノではありません。

早春の訪れは庭に咲く白梅とたくさんのフキノトウ。

今の庭には水仙、山ワサビ、スノーフレーク、アンズ、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ハナニラと色々な種類の花が咲き始めました。


そうなったら山へ。

山と言っても遠くの山ではありません。れっきとした岡崎市内です。
一緒に行くのはらしじろうくん。
ガラスが反射して見にくいですが、車に乗ると何故か必ず運転席に・・


新葉が吹き始めるを観察するのはもちろんですが、まだ吹き始める前の膨らんだ芽をじっくり観るのが大好きです。
それには斜面だらけの山が一番。

少し離れた場所から見るとまだ、枯れ葉の山の地面です。


でも近くにいってみれば、咲き始めています。




遠くから見ていては見えないものがある。
でも、近くばかり見ていると全体はみわたせない。

庭に於いても、生き方についても同じ事が言える様な気がします。

本当に自然から学ぶことは多いです。

2011年3月18日金曜日

色々と考えてしまいます

今日で東北関東大震災から一週間経ちました。

心から被災した方、亡くなられた方にお悔やみを申し上げます。

日本中、世界中の方が心配しています。
私自身、本当に色々な事を考えて、中々ブログをアップすることが出来ませんでした。
思いが交錯します。

正直今でも、何を言ったら良いのかわかりません。

しかし、先日東京の友人と電話をしてたら、人々がトイレットペーパーなどの生活用品を買いだめしており、必要な物資が手に入らないとのこと。

え?信じられないと思っていたのですが、実はこの中部地方でも同様とのこと・・・。
実際に私も必要に迫られてドラッグストアにいったら商品がとても少ない。

何故?
確かに又何か起きるか、いつ起きるかわからないのはわかります。
でも、今現実に困っているのは、そういった物資を必要としているのは、被災した人たちです。

休みが不定期な私は簡単にドラッグストアに行く時間を見つけられないので、通常ならもうトイレットペーパーを補充する時期なのですが今日は買うのを止めました。




被災した人たち・・・

一週間とても辛かったし、これからも暫くは辛くて不安な日々が続くと思います。
私は自分のできる支援はしていきます。
それがどんなに小さな力でも。

今回の事に比べたら私の受けた被災なんてかわいいものです。
でも、少しはその大変さがわかります。

そしてその小さな力でもとても支えになることも・・・・。



2011年3月3日木曜日

しまねこが来ました


家に新しくきた「しまねこ」です。
前に立つと目が合います・・・。

左は伊津野雄二さんのドローイング


灯りをつけるとこんな感じです。
実はこのドアの中ってトイレなのです。
大工さんの遊び心?あかりとり?理由は定かであありませんが中がしっかり見えるのです。

今までは透明のジェル(なんというのか知りませんが鏡やガラスに貼るものです)でなんとなく隠していたのですが、どうもすっきりしなくて美しくないのが気になっていました。

はまっているガラスは古いガラスで薄い灰青色でとてもきれいなのでこれを隠さずどうにかしたかったのです。

透明なガラスに不透明なガラスを重ねればいいのだ!と気がついた私。

イギリス時代からの友人でガラスでフュージングをしている「4月ガラス」さんに頼んで作ってもらうか、彼女の今までの作品で選ぼうか1ヶ月ほど考えていました。

そうしたら、彼女のHPで猫が出現。
目つきの悪さが本人に似ている!(ごめんなさい 良い意味です)この子ならトイレのガラスにあうかも・・と思い連絡をとると元々のガラスに合わせて色を変えて作ってくれるとの事。
早速頼みました。

注文があったらそのように変更してくれると言われましたが、「意地悪そうな顔にして」以外は全ておまかせしました。
基本的には誰かに何かを作ってもらう際には私は細かい注文は出しません。
だって、その道でプロとしてやっている人に私があれこれいうより、この人に任せようと決めた限りその人の感覚を信じようと思っているからです。

それがハズレだった場合は自分の見る目が無かったという事です。

任される事により、プレッシャーは高くなりす。
依頼主の想像以上のものを!と作り手が思ってくれることは大事ですよね。

こちらも彼女の作品 お風呂にあります

2011年2月24日木曜日

のどかな日曜日

久々の仕事の入っていない日曜日。


朝はいつものようにらっしー次郎くんと岡崎城へお散歩。


チェシャ猫発見。


岡崎城内で2番目に好きなヤブツバキが咲き始めました。
一番好きな椿は毎年もう少し後に咲き始めます。

いい天気なのでねこもひなたぼっこ。
私は今年初挑戦のキムチ作りの白菜干し。

植木畑で勝手に切ってきた白梅とツバキを生けました


のんびりしていい気分。

でも畑にじゃがいもを植えたり、新しい椿を庭に植えたりとやっている事は日常の仕事とあまり変わりませんでしたけどね。

2011年2月23日水曜日

五色豆

京都から届きました。


ブログ遊狐草舎でのお鍋の会のときに置いてあり、五色豆は堅くて美味しくないという私の観念を打ち破ってくれたお豆さんです。

送ってくれたのはA加ちゃん。
とってもかわいくてたんぽぽの綿帽子のような京美人です。

随分前にお店の名前教えてと言ったのを覚えていてくれて、わざわざ送ってくれました。
添えられた手紙によると、90歳のおばあちゃんでも食べられるようにつくっているとのこと。

なるほど、道理で柔らかいはずです。
柔らかいと言ってもお豆らしさは残っています。

味も色によって全て違います。(当然ですがそうでない場合が多いですよね)



大事に大事に一粒づつ味わっています。

2011年2月8日火曜日

ドイツより友人が来ています

2年続けてドイツでお世話になった日本庭園と盆栽を愛し、またそれを職業としているアレクサンダーが日本に来ています。

滞在期間は1月29日より2月16日。
本人曰く今回の滞在は短い。

29日に関空まで迎えにいき、民宿ジニアスに4泊して2月2日に京都に送り届けました。
今頃ニヤニヤしながら庭園巡りをしているはずです。

ディープな三河の生活や庭を満喫したと思うのですが、何しろこのアレクサンダー日本は6回目というのに日本語がほとんどわかりません。
英語がネイティブ並みに話せるのが逆に良くないのかも。
というわけで三河滞在中は通訳に忙しく写真を撮る余裕がありませんでした。


いくらなんでも写真をと思い、京都での一枚。


アレクサンダーはドイツで日本庭園をつくったり、つくろうとしています。
そのことの気候的な難しさやドイツ人の植物に対する考え方の違いなどを話し合いながら自分のことも考えさせられました。

日本で完全なイングリッシュガーデンをつくることは不可能だと思います。それは例え北海道や信州であっても・・・。
簡単にいってしまえば風土が違います。
風土というのは単に気候だけをさす訳ではありません。
そこに住まう人も含まれます。


それと同じで海外で日本庭園をつくることは不可能です。
海外で日本庭園なるものを訪れると感じる違和感。
いくら有名な日本人庭師がつくったからといっても違和感は必ずあります。

石庭なら別ですが庭は生きている植物が主体なので維持管理が必要です。

イギリスの庭は春から夏にかけては本当に美しいです。
しかも、日本と比べれば何もしていないくらいの労力で維持できます。


けれど長い冬の間は見事に跡形も無くなってしまう庭です。
私はこの何もない季節の庭好きですけど、多分多くの日本人はあの姿をみたらとてもがっかりするでしょう。
それが半年間続くのです。
三河ならば真冬でも一年草の花、常緑樹の緑、早咲きのワビスケ椿などの花木だって楽しめます。

過去の氷河期で植物のバラエティーがとても少ないヨーロッパ。
日本は本当に植物の種類に恵まれた国だと思います。

日本は昔から海外から色々な物を取り入れ自分たちの生活に合わせて上手く変化させてきました。
それを日本の良さと理解し、新しい日本の庭をつくっていきたいと再確認しました。

お土産に持って来てくれたドイツの雑誌 私って有名人??