2016年7月24日日曜日

世の中は不思議がいっぱい

先日、自分の現場ではなく手伝いに行きました

手伝いは以外と面白いのです。
自分の現場はないので、責任はないし(頭使わなくて良い)、色々な発見もあります。

今日の進行状況をチェック中?


「雑草とって、ススキとワレモコウが大きくなりすぎたら小さくしてほしいだって」との指示


その現場は毎年手伝っているのですが、いつも思います。
場所はまだあるんだから何もススキやワレモコウ小さくする必要ないのに…
これらの植物を大きくしておけば草も減るのになぁ。と思いつつも自分はただの手伝いなので、何も言いません。

もちろん自分のお客さんだったら、大きくしたくない理由を聞いて、自分の意見を言います。


セミが取りたくて木登り挑戦中

お忙しいお客様なのですが、珍しくその日は在宅。
一緒になって庭の木々をジョッキンジョッキン切りまくっていました。
鳥が種を落としていった南天も「こういうのが森の原点ね」と感心する発言をしながら南天もバッサリ切ってました。
あんなに切ったらまたビヨーンって伸びちゃうのにな。(でも言わない。)


セミ検索中



と思って仕事を終えた次の日は市民講座の日でした。
ユリについて話していて、タカサゴユリの話になったら、生徒さんたち口々にあれば抜いちゃうとの答えが。

ええ?
なんで?

だって、バラバラに生えてきて邪魔じゃん。
一箇所にまとまって生えてればまだいいけど。


う〜ん。
そこかしこにタカサゴユリが咲くのは人間の手ではできない自然の美だと思う私としては理解できない。


それにタカサゴユリが生えていることによってそこには別の草は生えないのに。

彼女たちの考えていることがわからない。

世の中は不思議でいっぱいですね。




今日の画像は桑名の現場です。
虫好きの子供たちは幼稚園から帰ってくると庭で大はしゃぎ。
こういう姿、いいですよね。



2016年7月13日水曜日

何が楽しいの?

前から思っています。

何故、ガーデンショウとかあるのでしょう?
私はガーデンショウとか、全く興味がありません。(やっぱりって思いますよね。私をご存知の方は)
20年も昔、イギリスのガーデンデザインの学校に行っている時はかの有名なチェルシーフラワーショウの会場から学校も近い事もあり、
行かなきゃっ!と息も荒く先生に言いました。
その時の先生の「意味ないと思うけど行きたかったらいけば?」とのシラけた様子に拍子抜けした記憶があります。


照手水密という食べられる身のなる花桃 食べやすいサイズです


でも、この仕事を続けていて今ではその時の先生の気持ちがよーく解ります。
その理由は、私の屋号にもしてある「GENIUS LOCI」にまさに繋がるのですが、ショウはショウであって、本当の「庭」ではないからです。

ショウは綺麗かもしれません。
でも、美しいでしょうか?
こういう遊び心いいですね



庭というものは、その風土、場所、土質、建築など諸要素が重なりあって初めて生まれるのだと思います。

そして、それらの条件から生まれた空間は年月を経てやっと本来の(私が依頼主が望んでいると想像している)姿に成長していき、美しい空間になるのだと感じます。

こう考えるとショウには何一つこれらがかぶりません。

第一、依頼主がいないじゃないですか?
依頼主と話し合って空間を作り上げていくのが庭作りの醍醐味だと思います。

完成した時、そして良いお付き合いをしながら年数が経ち心からの笑顔をもらえることが何よりの喜びだと日々感じています。

今、桑名市に通っています あまりに海が綺麗だったので走りながらパチリ


ガーデンショウに出展する時間とエネルギーがあったら目の前のお客様とじっくり本当の庭を作っていた方が楽しいのにね。